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狭山事件の再審を求める沖縄のつどい(2009.10/30)

 石川一雄さん 「海を越え、狭山集会沖縄で、皆の支援に勇気百倍」
            
 2009年10月30日(金)に浦添市てだこホールにおいて『狭山事件の再審を求める沖縄のつどい』(実行委員会:連合沖縄・全港湾・高教組・宗教者団体・高退教)を開催しました。集会には約190名の支援者が集まり、46年間、無実を訴え続ける石川夫妻の再審を、沖縄からも勝ち取っていく決意を確認しました。
 実行委員会を代表して、仲村信正(連合沖縄会長)は、「狭山事件とは何だったのか。石川夫妻には、筆舌に尽くしがたい苦悩があったことだと思う。警察権力による「でっち上げ」そして、取り調べにおける拷問にも等しい圧力は大変なものがあったと推察される。
 私たち労働組合の運動に対しても、過去の歴史の中で数多く弾圧があったことを決して忘れてはならない。民主主義と人権を守る闘いは、これからも強化する必要がある。人間の尊厳を脅かす行為に対して、毅然と立ち向かっていく。自信と確信をもって行動していくことが極めて大切である。
 沖縄県民には、部落問題・部落差別とは、なかなか理解しにくい点も多々あると思うが、あえて申し上げるならば、沖縄全体が今もなお「政治的な差別を受け続けている」と言わざるを得ない。戦後64年、復帰から36年経過した今日、依然として米軍基地から派生する事件・事故に沖縄県民の生命と財産、人権が脅かされ続けているのが現状であり、そのことも含めて、本日のつどいで考えてみようではないか。
 無実の人を不幸におとしいれる冤罪をなくしていく行動と同時に、取り調べの可視化や代用監獄の廃止に向けた機運も盛り上げていこうではないか。
 沖縄からも狭山事件の再審を勝ち取る声を上げていこう。」と訴えました。

訴えを述べる石川夫妻
 石川一雄さんは、「このように多くの人々が、狭山事件の石川一雄に関心を寄せていただき、また、無罪になるまで皆さんにご尽力を賜っていくわけではありますが、この沖縄において狭山の学習会を開いていただいたこと、心から嬉しく思います。
 皆さんは、裁判官が下す判決判断を信じて疑うことはないと思います。しかし、私の事件だけでなく、多くの人たちが冤罪をつくられていることも事実であり、必ずしも裁判官が正しい判断を下すと言うことはありえません。
 私は、集会があるたびに、それぞれの場で自分が感じたまま、短歌的な歌を詠んでいきます。今日はこういう歌です。
 『海を越え、狭山集会沖縄で、皆の支援に勇気百倍』
 こう言う自分自身が感じたままの歌ではあるが、まったく読み書きができなかった石川一雄が、32年間の刑務所生活で読み書きができるようになりました。
 この冤罪が晴れた時には、皆さんに恩返しはできないかもしれないが、自分の事件のような人を二度と出さないように、一生運動に携わっていこうと思っています。自分は昨年、国連で無実を訴えることができました。できれば今年、もう一度国連に行って、自分の口で通訳を交わさず、自分が思うままに述べることができればと思い、いま英会話教室に通っています。来年も是非とも国連に参加して訴えを述べたいと思います。
 今後とも無罪を勝ち取るため、更なるご支援をお願いします。」と訴えました。
狭山事件とは・・・
 
今から46年前、1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件が起きた。警察は、身代金を取りにあらわれた犯人を40人もの捜査員が張り込みながら取り逃がしてしまった。その後、女子高校生は遺体となって発見され警察の大失態に世論の非難が集中した。
 捜査に行き詰まった警察は、付近の被差別部落に「見込み捜査」を集中させ、何ら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1ヵ月にわたり警察の留置場(代用監獄)で取り調べ、ウソの自白をさせて、犯人にでっち上げた。
 無実の罪で逮捕された石川一雄さんは、1994年12月、31年7ヵ月ぶりに仮出獄し「部落差別にもとづく冤罪である」と三度目の再審を求めている。
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